プロフィール

1967年2月21日 山口県下関市に生まれる。

2年保育で黒井幼稚園入園⇒泉幼稚園卒園。

下関市立川中小学校入学卒業。この頃から『おまじない』や『星占い』が好き。愛読書は『私は見た!死後の世界』。移動図書館で『時をかける少女』を読み、同じ本の別の小説でパラレルワールドを知る。

内日中学校入学卒業⇒山口県立下関南高等学校入学卒業。

北九州予備校(小倉校)で浪人するが、この年の共通一次(現:センター試験)の2日目に体調を崩す。国立一本だったので進学する大学がなくなりお先真っ暗に。この時に人生最大の挫折を味わう。

絶望的になっているところ、願書受付をしている(母校から道を挟んだ向かいの)梅光女学院大学短期大学部英米文学科(現:梅光学院大学)を受験。日文か英文かで、音楽の次に好きだった英文を迷わず選択。今思えば、運命の分かれ道だったのかも? 礼拝や聖書の時間が好きであった。お昼休みにお弁当を持って集まる「哲学読書会」が好きで、荒木正見先生に『夢分析』や『箱庭療法』を学ぶ。

小遣いでタロットを買い、周りの友達をカードリーディングしていたのもこの頃から。

 

山口おやこ劇場時代も、名古屋の劇団時代も、空き時間さえあれば、タロットカードで周囲をリーディングする日々。結婚前の恋人時代に、カードリーディング。『世界』のカードが出て「私たちって結婚するってよ」と断言。(まあ、プロポーズされていたこともありますが)その通りに結婚。「2学年違いで男の子と女の子が欲しい」希望通り出産。子育て時代の名古屋の自宅での教室時代(10年間)も、生徒さんや保護者を次々とカードリーディング。

 

2007年より謎のセラピスト「おりひめかおる」という名で、カードリーディングや、チャネリングによるチャクラ開放アカシックレコードリーディングを行っている。タロットカードは封印。使用せず。

 

2008年8月下関へ。学校勤務の傍ら、(副業禁止のため)無料セッションを続ける。

 

2017年9月末で学校勤務を辞め、10月より、本心に正直な「世界がおりひめ」人生にシフト。

2017年11月1日(宮司を務めていた亡き祖父の誕生日)、下関市大和町に『おりひめサロン』OPEN。

 

尚、「心が軽くなった」「癒された」「このままの自分でいいんだと思った」「何か楽になった」など、おりひめかおるのセッションには定評がある。

 

 

 以下は、かなりマニアックな内容になりますので、興味のある方だけ目をお通しください。

 

【音楽編(番外編)】

4歳よりピアノを始める。絶対音感。物心ついた頃から音楽と星占いが好き。父が山口県立下関西高等学校の教員だったこともあり(年長~高1)、下関西高吹奏楽部の生演奏を聴いて育つ。川中小学校時代は、特別音楽クラブに所属。

当時、内日神社の宮司を務めていた祖父母の具合が代わるがわる悪くなったため、長男である父の意向で小学校卒業と同時に、田舎の中学校に引っ越した時には、親を恨み、毎晩ベッドで天井の木目を眺めながら、自分の運命を嘆き悲しみ泣きはらす日々だった。行くはずだった憧れの吹奏楽部のあるマンモス校の川中中学校とは違い、文化部が何一つないことに憤慨し(笑)生徒総会のフリートーキングで意見を主張したり校長室に直談判に行ったりと、正義感の強い女子だった。もともと音が好きなので、音声として好きな英語に妥協し、市内の英語暗唱大会で入賞した。

今から思えば、「別れの後には必ず新しい出会いというものがあるのだから、やみくもに悲しむ必要ない」ことを、この時に体感した。

 

下関南高時代は、部員80名の管弦楽部でバイオリン、編曲、指揮者を務める。

北九州予備校(浪人)時代は、福岡県立小倉西高等学校吹奏楽部の指導に。銅賞から銀賞へ導く。

梅光女学院大学短期大学部英米文学科時代は、聖歌隊や女声合唱『コールクヴェレ』に入部し、指揮者を務める傍ら、一般の下関市民オーケストラに所属。

教育実習で母校の生徒たちに「先生、音楽の先生かと思った」と言われた時には、かなり嬉しかった。

卒業後の山口おやこ劇場の事務局時代に名古屋の音楽劇団と出会い名古屋へ。”音楽以外のこともたくさん経験し、それでも音楽が好きだから、音楽をやりに名古屋に行きたい!”と言った時には、不思議と父は反対しなかった。

手取り80,002円の一人暮らしで、愛知・岐阜・三重の小学校公演や全国各地の劇場を飛び回る日々を送る。

結婚&出産後、子育て時代は、趣味のオーケストラを続けながら(公文式千音寺教室の採点助手の後)名古屋市の自宅でECCジュニア・BS中川吉津教室(英語・英会話教室)&ピアノ・バイオリン教室を開講。

 

2008年8月、故郷下関へ。引っ越しの理由は、”もともと故郷で子育てしたかった”という気持ちに加え、TVドラマ『のだめカンタービレ』に感化され(笑)”生まれ故郷の下関で、のだめのSオケのような愉快なオケで、舞台と客席が一体となった楽しいコンサートが開催できたらなあ~”という沸き起こる願いから。

今思えば、そんな気持ちでもないと、新築一戸建ての家を売却してまでも、故郷下関に帰ることはしなかったと思う。不思議な決断だった。

 

願えば、宇宙は思いもしないような方法で、叶えてくれる☆彡それを実感。

 

♪オーケストラ歴♪

山口県立下関南高管弦楽部(3年間)(編曲&指揮担当)'82-'85

メモリアル・フィル・ハーモニー・オーケストラ(夏だけの単発オケ)'86

下関市民オーケストラ(2年間)'88,89

名古屋ムジークフェライン管弦楽団(10年間)'92-'01

名古屋シンフォニア管弦楽団(2年間)'07,'08

そして、2009年春、20年ぶりに下関市民オーケストラに再入団。

2015年度より休団中。

 

 

【住居編(番外編その2)生まれてから現在まで14回引っ越し。住まいも波乱万丈】
結婚前、家族5人揃って生活していたのはたったの3年間。

1967.2.21 18:00誕生(山口県下関市=現在の「癒しの地」で生まれる)

・0~1歳(1年間) 山口県美祢市の教員住宅⇒全く記憶なし!

・1~5歳(5年間) 当時は豊浦郡かなあ?下関西高(黒井分校)の教員住宅。年子の弟と両親と家族4人暮らし。よく覚えている。

 備考:高校の敷地内の平屋で、ここの間取りが好きだった。死ぬかと思ったけど死ななかった体験をしたのもこの頃。⇒数メートル下の土の上に落下したり、三輪車で川沿いの下り坂を猛スピードで下り止まらなくなったり。どちらもその先の記憶なし。ピアノ自分から習いたいと言い出し、母と楽器店に行き「これがいい」と選んだのもこの時。音が好きで、何か楽譜を見たらすぐに弾けて、習うのが楽しかった記憶あり。

・5~12歳(年長~小6の7年間) 下関市山の田北町の教員住宅(4階建の最上階。) 

 備考:小1の夏、末の弟が生まれる。唯一家族5人で暮らしていたのは、小4まで。小5は父が国内留学でいなかったし、小6の2月より、内日神社の宮司を務めていた父方の祖父母が代わる代わる体調を崩し、母と弟二人は一足先に、内日神社の社務所へ引っ越す。私と父は私の小学校卒業の手続きが面倒になるという理由から、山の田に残った。この時、父が夜間(定時制)のコマがある時は、父の帰宅を待ちながら見ていたTV漫画「銀河鉄道999」が忘れられない。美味しいパンをお土産に持って帰ってくれていた。毎週木曜日の19:00~19:30放映。父は苦手で、あまり会話したことなかったけど、嫌でも会話しないといけなくなったのが、猛烈に嫌だった( 一一) 小学校卒業の時、クラスメイトが、私に内緒で折ってくれた千羽鶴(はいつの間にか消えましたが)と、寄せ書き。寄せ書きは今でも大事に持っている。小6の冬、引っ越すのが嫌で、吐きまくり、点滴のお世話になる。

・中1~3 現在、FBで時々アップしている「癒しの地」住まい。ここは父が大学生の時に建てられた一戸建て。祖父母は内日神社の旧社務所で生活し、年子の弟は寮生活。父は週末だけ帰ってきていたような。夏休み、冬休みは、山の田の教員住宅(はずっと借りていました)へ行ったり来たりする生活だった。中1の頃、きょうだい3人で、早朝、新聞配達をしていた。父の方針で。中2からは、年子の弟が県内の寮生活に入り、ホント家族バラバラに暮らしていた。

・高1(山の田の教員住宅の方が、高校に近いので、My父の車で行きは乗せてもらい、帰りはバス。)

・高2~3(父が山口市に転勤になったため=県教委・単身赴任)私と末の弟と母の3人は、父の実家(=現在の癒しの地)で生活。
 備考:定期代が月に3万円を超えてやけに高かったので、母は郵便局やライスセンターにパートに出ていた。

・浪人(北九州予備校小倉校)時代(1年間) 親戚の家に下宿。
 備考:母と末の弟は、父のいる山口市へ移り住む。
予備校生活は、朝は梶栗のバス停まで歩く⇒バスで綾羅木駅⇒電車⇒下関駅で乗り換え⇒小倉⇒徒歩15分 そんな日々を送っていた。この時も、夏はクーラーが苦手で、体調を崩し、点滴のお世話にった。

 備考:この歳の共通一次の2日目の理科社会(当時はそんな試験日程)の時に、体調崩して吐きまくり、お先真っ暗になった。

・短大(2年間) 下関市の癒しの地、祖父母と一緒に暮らす。バスも1時間に1本あるかないか。

 備考:高校時代と同じ環境。定期代がΣ(゚д゚lll)月に3万円を超えていた。雨の日、傘を持ってバス停に迎えに来てくれた祖母の姿が今も忘れられない。地元の夏祭りのたびに、祖母に着付けをしてもらっていそいそと出かけていた。お祭り大好き!浴衣大好き!

見ての通り、私は両親とあまり一緒に暮らしておらず。両親以外の誰かと生活=常にどこかで気が張っている暮らし。
親に甘えたいと思い、就職を山口市にする。(まあでも、この時から、父には「二十歳過ぎたら、官舎には住めない。自分でアパート借りて自活しろ」と言われておりましたが。)

ところが、父は入れ違いに下関に転勤Σ(゚д゚lll)

・山口おやこ劇場事務局次長時代(2年間) 山口市大内御堀の平屋のアパートで一人暮らし。お隣りは新婚家族が暮らしていた。(どこからどこまでかは忘れましたが、年子の弟も一緒に暮らしていた期間もあった。この時、年子の弟の友達にもタロットカードリーディングを行っていた。)

・名古屋の劇団時代(2年間)そして、1990.1月~名古屋市中川区おばけの出そうな近鉄黄金駅近くの○○荘暮らし。

 備考:家賃と水道代(共同)で24,690円だったのを覚えている。

 

主人と結婚してからは、家賃と駐車場代合わせて85,000円の
・賃貸マンション(3年間)

楽器を弾きたいがため、
・新築一戸建てを購入(13年間)夢のマイホーム暮らし。
 備考:上の子が年少の3月に引っ越し。マンションから目と鼻の先でしたので、自分たちで引っ越しをした。

 

・そして、山口県下関市の「癒しの地」のはなれに(3年間)
 備考:祖母が7月に他界。私たち家族は、8月から、その部屋に住んだ。

・2011.4月。私の県立学校勤務開始と共に、昔懐かしい山の田の教員住宅へ(7年間)。しかも、同じ4階の同じ部屋へ入居することができた。

 備考:過去(自分が年長~小6と、高1の時)と同じ住まい!この時、娘は高3。昔、父が東駅で降ろしてくれていたように、私も娘をちょっと手前の「旭」あたりで降ろす日々だった。

・そして、昨年2017年10月1日より、おりひめ人生へ。現在の下関大和町へ引っ越し現在に至る。

 備考:引っ越しも自分たちでおこなった。